ある願いをこめながらつくりつづけている
定番アイテムのひとつに、ごはんぢゃわんがある。
特に、こどもぢゃわん。
ミラノ修行時代にあらためて思った
日本人として大切な生活の道具の一つ。
遠い故郷を想いながら。
我が子に最初にプレゼントした自分の作品でもある。
ワレモノづくりを生業とする母の子として、
最初にわざと割らせた作品も茶碗。(不要な茶碗)
日本人の「いただきます」という景色の大半には、
ごはんのお茶わんとお箸が目に映っている。
伝統工芸の所作ももちろん魅力的だが、
まずは、ふだんの生活の道具に愛情を注いで欲しいと願う。
お茶わんの高台に美しく添える指、
お箸で美しく食をつまむ所作を見て、
日本の生活文化を誇りに思う。
「道具」には意があり利がある。
そんな話を子どもにも、ゆっくりして欲しいと願い
ごはんのお茶わんをつくり続けている。
ものは儚いということを。
怒ったり嘆いたりするのではなく、
「儚」という文字そのものを。
リスクを見越してでも、
「本物」の生活の道具を…。
毎日使ううちに。温もりや重さを感じ、
熱いものをもつときに便利な高台を
尊むようになるだろう。
それは本物であればこそ。
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