5月のおわり東京の空が梅雨をいつ告知するか相談の候、カラッと晴れた北海道に飛んだ。そんな中で出会った人、場所について何回かにわけて書こうと思う。
そもそもフレンチレストランにミニ土鍋のご納品という出張の旅であったのだが、3年ぶりとなる北海道、せっかくなので前入りして会いたかった人に会う旅となった。まずは美唄から。どうぞ数回おつきあいのほどを。
安田侃 野外彫刻美術館
70年代以降、炭鉱の町から人は去り学校は閉校した。木造校舎の一角には幼稚園が残る。時代に翻弄された歴史と未来の姿。イタリアと美唄におりてくるものと飛んでゆく風と作品をなでていると涙が出てくる。ハルエゾゼミのBGMがそれを助長しているからで、エゾヒグマには会うまいと念じて。
安田侃の作品は、イタリア在住時代から鑑賞済で、ローマの古代遺跡がねむるフォーリ・インペリーアで出会えば鳥肌が立ったし、フィレンツェのボーボリ公園でふと目にすればおかあさん!と呼びたくなるような。国内でも彼の野外彫刻は周知の事実で、出身地である北海道内にはおそらくたくさんの作品が、札幌駅でもなんどもシンボル的なそれは待ち合わせ場所になっていた。直島などアートが集まる旅先でも出会えたし、なにより日本でもミッドタウンのウェルカムスクラプチャーで容易に出会える。⇒ミッドタウンCONCEPT OF ARTWORK。
生命体的な形。イタリアはピエトラサンタの大理石を使った安田氏の作品からはオーラ溢れんばかり。その作品の群れを作者の出身地である美唄で観ようと提案をくださった友人が美唄の神のようにさえ思える。
それなのに「美唄」を「美瑛」とまちがえたし、友人がミュージアムにでも行きませんか?と提案くださったとき、まさか安田の作品美術館を「アルテ・ピアッツァ」と呼ぶとはつゆ知らず、油断なのか食いしん坊なのか「アルテ・ピッツァ」(アーティスティックなピザ屋?)と誤解した。もろもろの言い訳をしたが、安田作品の虜であったわたしが美唄に足をはこぶ機会が与えられたことはとても不思議でたまらない旅の始まりだったのである。そして友人KさんSさんの存在は、わたしにとって説明ならない人生の醍醐味だと実感。その意味はなにか?まだ消化できない。
旅と芸術と人との出会い。
それを不思議といい、土地に眠る幻想というのだろうか。
実はどうしても終わらせなくてはいけない仕事があり、完全徹夜で飛行機に乗り込み、そのままバタバタと美唄に着地していたのだった。徹夜でねむらないことには慣れている。ここでも一度も睡魔や疲労を感じるどころか、目と耳は何倍にも開口した。(いやそれ以上に口も開いた!)
屋外彫刻を見ていても、自然が大きいのか空が大きいのか、作品が大きいのか、わたしたちが小さいのかわからなくなる。その要因のひとつが虫の大合唱だった。長袖とストールが手放せない15度に満たない気温であるのになぜ。作品はときに幻想を起こす。
その後、ミュージアムを離れ、我らは炭鉱の町として栄え現在は廃墟となった「我路」を探しながら走る。人もクルマもいない。鳴いているのはあの蝉。その道で何度もジャンプして土に突撃しているキタキツネの子どもに出会う。睡眠不足の幻想か、いやいや子ぎつねはどんどん我らに近寄ってくる。あなたは誰かの生まれ変わり?
案内くださった山田和史さんの写真と仕事ブログに出会ってどのくらい経つのだろうか、6年8年?曖昧な記憶しか残っていない。前アトリエがあった沖縄でコッチョリーノ作品を扱っていただき、今回もアリノハネに入ったオーダー作品の納品も兼ねて。美唄には新しいアトリエ&ショップのオープン秒読みの彼。準備中の不思議な空間にもおじゃました。最もお忙しいところ案内いただいた。夢と現実と、とても高い鼻と熱い眼をもった男性と、大理石のようなピカピカな肌と透明感をもつ彼女は、きっと誰よりもコロポックル。また会いにいこうと思う。