個展を10日後に控えておりますが、ちょっとブレイクです。公募展「第6回 着想は眠らない」(テーマTOKI)にて2018年インターリンクconcept賞をいただきました。
過去にも、ギャラリー賞として「陶のおめん展」をさせていただいたことがありますが、今回の賞は、ギャラリーを古くから支えていらっしゃるという、美術家でもあるといっても過言でないかたからの賞のひとつ。公募展アートは、器づくりの背景にあるいくつかの活動。関係者ご一同さま、ご出展者さま、みなさまに感謝いたします。
日々の「器づくり」の仕事は、個性的でありながらも「用の美」がキーワードになるわけで。何年つづけても未熟者ゆえに、ピンと張った糸がカラダの中を張り詰めている。そんなわたしが、ある意味、制作において開放される「とき」が年に1回ある。それが公募展であり、器以外の作品を出展することを決めている。
好きなことを仕事にする中でも、「器づくり」は、人生を歩むための「仕事」として覚悟しなければならない枠がある。相手を想うあまり多大な緊張感にあふれる仕事。細かいところまで気を配り、ミスを重ね、それが次のステップになるのだが、これだけ制作の年月が長くなってくると、カラダと脳も硬化して、新作を生み出すときになって、その緊張感とプレッシャーが仇となる。
冒頭の「仕事」とは、制作資金であり、食べて生きるための動力なのだが、硬化した脳、寛大な心には、起爆するような刺激と、とろけるような甘美が必要で。人生、黙っていても「弛緩剤」は処方されない。このような公募展や旅に処方箋を探し求めているのだと思う。
最終日は、作家のアーティストトークタイム。売買のない世界、異業、異なる年齢、経験。そこから受ける刺激と甘美が、張りつめた糸に弛緩を与えはじめる。若手の目の輝きは刺激的だし。経験者の堅牢さは迷いを固めるチカラとなる。陶芸界の大家も、人気アーティストも、日常の肩書きをひけらかさず、淡々とその心を語る。大家 加藤委氏は言っていた「土と火」だけがあっても器は生まれず、「人」の刺激やパッションをどんどん受けなければと。まったく同感である。
若かりし日に受けた雑誌のインタビュー記事を、ことあるごとに思い出す。今も本棚の奥に隠してある。えらそうに「用の美」や「日本の伝統工芸」から逸脱してイタリアに旅立つ!など宣言している記事だったと思う。以来、メディアのインタビューをほぼお断りしている理由はここに。まさにトラウマだ。25年以上経った今も、顔が赤くなる。言い訳もできない時間が経ったし、こんなちっぽけなこと誰も覚えてはいないだろう。
このちっぽけな過ちを、人生のおわりまでに自分自身に納得させようと、「器づくり」と「アート」の作品の両側から、挟んで観ようとしているのかもしれない。
選考者のコメントはエモーショナルである。狙いであった「美しく仕上げない(不細工でいい)」、そしてタイトル「未完」という的の真ん中に矢を射られた。文末にある「この先にある完成形を楽しみにしています」は、少し前までならプレッシャーに感じる賛辞に捉えただろうが、いまや、人生の最期は「これで完成じゃ」「この先も未完成じゃ」どちらでも「ああ面白かった」と言うのか楽しみになった。
ぜひともリンク先に飛んでご一読いただきたい。
http://www.interlink.jp/art.html
テラコッタの粗野で無骨なオブジェは、
20年ほど前フィレンツェの工房(アルゼンチン人の彫刻工房)で制作。
帰国時は大型船に乗る「お荷物」に。
さらに日本の狭小庭では「ゴミ」と化し、苔むして18年。
帰国後の18年でつくった器を叩き割ったら「カケラ」になりました。
庭の「ゴミ」に「カケラ」を金粉でつなぎましたが完成形は見えず。
人の道はカケラをつなげる毎日。
添えたサブタイトルはデュシャンへのオマージュです。
以下は「器づくり」の仕事のお披露目。
販売予約の個展です。お気軽にいらしてください。
INFORMATION
我妻珠美 陶展 -秋を炊く-
Tamami Azuma
Ceramic Art Exhibition
Ecru+HM (GINZA TOKYO)
2018年11月16~24日 ※21日休廊
12:30-19:00 (Last day 17:00)
東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル4F
詳細・お問い合わせ Ecru+HM