2017年
12月
24日
日
いよいよ最終日。ここまでたどり着きました。
みなさまのおかげです。冒頭に書きたいことは毎日同じ。ありがとうございます。
今回は初の試みで、師匠GUIDO DE ZANの作品を海を越えてミラノからセレクトして参りました。師匠のことについては、こんな最終日にさらっと書けますまい。友人、家族にならぶほどの、わたくしというニンゲンを形成するのに欠かせない師匠が登場するなんて思ってもいませんでした。
ひとことでいえば、師匠からは技術でなく芸術家としての生き方の一例を学びました。いやまだまだ学んでいます。彼こそ昨日の記事にかいた「気負わない、競わない人」なのです。彼の真っ白、あるいは真っ黒な作品の中にはたくさんのメッセージが含まれているのだけれど。見える人だけに見えるものなのかもしれなくて。
小学生のころ、母といっしょに夜の横断歩道をわたるとき、わたしは空に走るトナカイをみました。母にそれを感動の声でつげると「あなたにだけ見えるのよ」と言いました。きょうは、そろそろ忙しそうなトナカイが見えるかもしれません。
BUON NATALE!(よいクリスマスを)
2017年
12月
23日
土
たくさんのお客さまのご来廊ありがとうございます。毎日同じことを冒頭に書ける喜びをインターネットという形で発信している失礼をお許しください。
毎回の展覧会でお守りのようにポケットにしまって持ち歩く言葉がいくつかあります。何度もこのことを書いたかもしれませんが、喜びに満ち溢れているときこと緒をしめる気持ちにおいて何度でも書きましょう。
2017年
12月
22日
金
本格的な冬が到来。鼻の先が寒い朝がやってきました。タマゴ皿に乗せた練り切り菓子は「山茶花」。18歳の青春に頼んで和菓子屋さんで見立ててきてもらいました。ファッションをセレクトするのと同じように、好きな色やうつくしいものに心を寄せる楽しさを。器もそんな気持ちで選んでいただけるととてもうれしいです。
いよいよEXHIBIYION
DUETTOは後半戦にさしかかりました。絶え間のないたくさんのお客さまのご来廊ありがとうございます。これまでも数年間ずっときゅうきゅうな日々を送っておりましたが、2017年度下半期は、9月イタリア帰国後3か月のあいだに2つの大きな展覧会の機会をいただきました。合計700点以上の作品をつくったことは少し狂っていたかと思うくらいで、これを満足に思ってはいけないと反省しています。しかしながらそのおかげで何倍もの人に会えて、何倍もの作品をつくり、何倍もの学びを得たと本気に思っております。
芸術で生きていくのは楽しさの反面、険しい山とたちむかうような困難があります。作家の利益とは、人とお会いする数であると心から再確認する日々。勝負でない制作と競争でない価格設定。これらは自分の主義と生きる糧でもありますが、なによりも見えない後継者たちへのオマージュだと思っています。
本日もみなさまもご来廊おまちしております。
2017年
12月
21日
木
たった4日間でどれだけの方々にお会いしただろう。というより、どれだけの心臓が重なって動いているのを感じただろう。
SNS時代「百聞は一見にしかず」の「見る」は叶うようになりました。会って作品を手に取っていただくことこと「百聞は相見にしかず」は作者にとっての緊張感でありどれだけの学びとなることでしょう。心から感謝してもしきれません。
昨日もたくさんのお客さまでした。ゆっくりお話しできなかたったかたとは、またの機会にお話しできますよう末永くどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
2017年
12月
19日
火
定休日をはさみ3日もたくさんのお客さまでギャラリーはにぎやかでした。ご説明やお話しがなかなかできなかったお客さまにはお詫び申し上げるとともに、いつかまたお会いできるような作品をつくりつづけることしかできないと心する日々であります。本当にありがとうございます。
テーマを変えて数年おきにつくっている半磁土の「注ぐうつわ」ですが、今回は「よいしょシリーズ」。定番の夜の街シリーズは赤、黒、ピーコックの3色展開です。
今回もキレよく仕上がりました。お醤油のほか、お酢、クリーム、中国茶など、和洋中折衷でお使いくださいませ。「よいしょシリーズ」は一点ものです。おかげさまで残りわずかになりましたが、まだまだ愛らしい子たちがおりますので、どうぞ観にいらしてください。
2017年
12月
18日
月
「水鏡」
景色も時間も出会いも
倍になる場所がきっとある
前回の展示を10月初旬に終え、2ヶ月ちょっとで全ての作品をつくり卸しました。前回のオーダーも大切に制作したいので、週ごとに気持ちを分けオーダーと新作を交互に取り組むというスケジュールを組んで。⇒高島屋オーダー作品について
人生には大切なものがひしめきあう時機があるのだと思います。今年の初夢は大きな大きな虹をジェットコースターのように滑ったりまわったりする夢でした。ある時は真っ白いネズミがかわいい姿で立っている夢でした。なんとなく自分自身だけが見えない先を見ていたのかもしれません。
2017年
12月
15日
金
「もってのほか」食べてはいけないのか?と思わせるような名前の菊。“思っていたよりずっとおいしいからもってのほか”なんていう由来。その通り、本当においしいし、なにより香りがとてもよく、おひたしにサラダに、ステキな食材です。
先日は、白菜に「もってのほか」を和えただけの和風サラダにしました。天然のお花の香りが白菜のみずみずしさに加わって、いくらでも白菜をバリバリ食べられる簡単メニューです。
①塩もみした白菜をザクザク食べやすい大きさにカット。
②お酢とごま油と足りなければ塩を足して味を調節。
③菊「もってのほか」の花びらを冷水につけキュッと絞る。
④②に③を加えてできあがり!
2017年
12月
13日
水
「よいしょシリーズ」
つくづくこの職人仕事は忍耐であると思いますが、
不可能であると微かにでも思っては前に進めません。
不可能という終止符は憔悴という涙を流すだけ。
困難のなかでも、とにかく笑う。
わらってわらって、よいしょよいしょと可能にするだけ。
2017年
12月
10日
日
今週末からの展覧会には、「小さな注ぐうつわ」など半磁土の作品もひさしぶりに登場します。
師匠GUIDOは主に半磁器と同素材の grès(グレス)を使っています。学生時代から愛用していた半磁土を使っている作家さんを追い求めているうちに、ひょんなことからグイドに出会いました。もう25年も前のことですが「いい工房があるよ」と、ミラノで自転車を貸してくれた友人への感謝を忘れまい。ガタガタと体に響く石畳の震動とともに。
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GUIDO DE ZAN produce le sculture e i oggetti d’uso con grès e porcellana. Questa volta anch'io presenterò i oggetti di semi-porcellana. Infatti quando stavo cercando ceramista che usa porcellana,
un amico mi ha presentato Guido a Milano circa 25 anni fa, non me lo dimentico mai.
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MINI-POT for SoySauce & vinegar with peperoncino Calabrese Tamami Azuma
ANIMAL Guido De Zan
2017年
11月
30日
木
家族全員が食いしん坊で、たべる、つくるどちらも好きですが、どうにもこうにも時間がない。わが家は「できる人」あるいは「得意な人」がそれぞれの家事をしますが、ここ最近みんな各々追込みのときで、だれも「夕ごはんつくれるよカード」持っている人がいませんでした。キリキリ舞いで、夕食のしたくもハラヒラでした。
そんなとき、ギリギリの「買いものいくよカード」と「つくれるよカード」切ってくれた青春18がシチューをつくりました。シチューといっても市販のルー使用ですが、お肉はやわらかい鶏モモ肉がいいとかブロッコリーを入れるとか、彼なりのこだわりで。野菜を煮すぎたのか、入れ時にはこだわっていなかったのか、ほどんどの野菜はとけて形がなくなっていました。シチューが少し緑がかっていたのでなに?と思えば、ブロッコリーは芯までほどんととけて粒つぶがほどよく充満。料理がルーティンになり、おざなりになると固まった発想に留まりがち。ブロッコリーが溶けてルーに混ざり合うおいしさをひょんなことから知りました。
写真の1~2人用の使い勝手のよい土鍋は、次回の展覧会にも並ぶ予定です。
以下、展覧会のおしらせです。どうぞお気軽におこしくださいませ。
「DUETTO」
Tamami Azuma & special guest Guido De Zan
2017.12.16-24
11:00-19:00 (mon.close)
CROCO ART FACTORY(横浜元町)
2017年
11月
19日
日
最近なによりうれしいのが、みなさま自由に土鍋やミニ土鍋の使い方をイメージして、わくわくして使ってくださっていることです。
土鍋を紹介している中で増えてきた質問が「IHは使えますか」。5年前くらいからちらほら聴こえはじめ、いまや3倍くらいに増えたこの質問。炊飯やグツグツ煮込むなど使えないシーンはもちろんあるけれど、ミニ土鍋は不可能な悔しさより、可能な喜びをご提案しつづけます。現在も12月個展の土鍋と、10月展覧会でいただいたオーダー土鍋をつくっています!せっせせっせ。
ひさしぶりに恒例の「なんちゃってレシピ」を2つまとめて。どちらもミニ土鍋でのご提案。こんなになんちゃってなのにツイッターなどでお問い合わせいただいたり、ご好評いただきありがとうございます。いや、ほぼ材料だけの記述なのでレシピではなく本当は「なんちゃって材料」ですね。
2017年
11月
11日
土
「旅する土鍋の本」についての経過とお知らせ。
当初は、旅から帰ったらすぐ9月開催の展覧会でお披露目しようなんて思っていましたが、時間的な問題においてとうていムリでした。次に、展覧会で本を楽しみにいらしてくださったお客さまには“12月に予定している個展には完成させる!”なんて申しておりましたが…。
今回の冊子も、前回の土鍋本を手がけてくださったデザイナーさんにお願いしており、既に数回の打ち合わせを重ねて身がためをしております。わたしの身勝手なのですが、制作に精一杯で原稿を書く時間がなかなかつくれないのと、つくるならば前回の本よりも中身を充実させてものをつくろうじゃないか!というわけで、完成を来春あたりに少し延期させようと思います。前回よりページ数も多めに、イタリア土鍋の取材だけでなく、旅日記のようなものや、レシピ、人とのかかわりなども加えながら、ページづくりを進めております。
2017年
11月
07日
火
「第5回着想は眠らない展2017」テーマ:オト 終了いたしました。
「駄作ださくダサク!」と嘆いている作品でも、距離や時間を置くと「いまじゃつくれない」というようなレアという価値となる場合もある。経歴の魅力とは、自慢という靴や傲慢というコートを着飾るのではなく、作品をあらゆる角度から細部から全体像を見ることができる眼を養うことなのではないでしょうか。
2017年
10月
31日
火
仮装はしかりハロウィーンイベントを楽しむことは残念ながらありませんが、ハロウィーンといえば、不思議な感覚を持ったアイルランドの旅を思い出さずにはいられません。アイルランド人の友人が車であちこちに連れて行ってくれましたが、ところどころで不思議な鳥肌が立ったり、ふと目の前や吹く風のなかに何かがいる錯覚、いや幻覚のようなものを覚えたのです。アイルランドの旅話はまた機会があれば。
その後、そんな私を納得させてくれたのが、これから紹介する映画と鑑賞会で拝聴したトークショーです。幸いにも監督からのリクエストでトークショーの音声を文字に起こして原稿を提供するという機会に恵まれました。
2017年
10月
30日
月
今朝は台風一過の秋晴れ。しかしながら自慢できる「日本の四季」が薄れてきたような気がします。ようやく春と秋の良さがわかってきたというのに、こう雨つづきでは秋が見えないし感じられない。
こんなにも、ろくろでひいた作品が乾きにくいことがかつてあったでしょうか。職業にも響くこの気候。陶芸には悩ましいけれど漆芸には適するのかもしれず一長一短であるものの。きっと農作物を育てているかたや、他にも多くのかたたちが異様な雨つづきに泣いているでしょう。つくり手にはみんなに見てもらいたいものがあるというのに。
2017年
10月
22日
日
Un piccolino sta giocando le mie campanelline!
(ウン ピッコリーノ スタ ジョカンド コン レ ミエ カンパネッリーネ!)
ちびっこくんが私のちいさな鈴で遊んでいます!
2017年
10月
14日
土
聴こえるかしら?ちいさなちいさな鈴の声。
先日、2記事に渡って吊り下げ型の「冬鈴」のご紹介をしましたが、今回は据え置き型「冬鈴2」。自分でコロコロ鳴らすタイプです。据え置き型は、時をさがのぼり15年ほど前の作品。フラワーアーティスト迫田 憲祐氏とのコラボレーション作品。お祝いの鉢植えの花に添えたり、植物のあいだに埋もれさせたりしてお花屋さんで展開していました。お花屋さんは九州に移転してしまい残念ながらプロジェクトも休止。そんなことから、オマージュ作品として今回の出展にふみきりました。
2017年
10月
13日
金
今年度の出展作品は「冬鈴」。詳細は前記事へ→★
→「公募展に参加します」
→「着想は眠らない2」
2017年
10月
11日
水
百貨店の展覧会後、18年ぶりに高熱を出し何もできない状態を数日過ごしていました。病院知らずの元気者のスケジュール計算がたちまち狂いました。
「ムリしすぎ」「がんばりすぎ」「飛ばしすぎ」
この言葉は真摯に耳に入れ受け止め、浴びる洗礼として受けてきましたが。「ものをつくる」「売る」「つづける」ということを仕事にすると、例の3つの洗礼なんか浴びては弾くくらいのオイリーなヤツにならないと。今回は、ちょっとかさついた。
モノは完成してもひとりでは動かない。こちらが飛ばさないとモノに加速なんてつかずすぐ止まってしまう。休もう!ゆっくりいこう!と言葉にするイタリア人をみていても、実は休んだぶん、ゆっくりしたぶん顔を赤らめて、つまりはムリをして最後がんばってターボをかけて飛ばす。なにを言われても弾かせる「オイリー」体質、とにかく「スタミナ」があるのです。自身もスタミナは誰よりもあると自負していましたが、明らかに今回はスタミナ切れだ。スタミナの借金をしてきたにちがいない。
12月に迫る個展の制作を、数の多さや、新しさの多さで見せるのはやめよう。数でなくひとつにすべてをつぎ込むくらいの真剣勝負。10日ほど制作日をロスして焦りに満ちていますが、イタリア人のようなスタミナで挽回する所存。百貨店でいただいたオーダーは回想などメランコリックなことを拭い取り迷いなくまっすぐぶれずにいこうと思います。
そしてもうひとつ。「土鍋と旅」の本。12月におひろめできると展覧会やここでも宣言したけれど、デザイナーのSさんにも今後相談してみよう。発行日を伸ばすとか、展覧会とは独立させて、ポップアップショップのようなお披露目会などもデザイナーさんと話しています。
関係者のみなさま、ご迷惑をおかけいたします。
そいうことで、まだ本調子ではないですが、今からイタリア人のごとく「ムリして」「がんばって」「飛ばす」この3つでターボエンジンを始動させようと思います。
2017年
10月
10日
火
スポ根だけが「根性」でなくて。
歯を食いしばって頑固に耐えるアレじゃなくて。
「根性」の本意とは、「ある機会に応じて伸ばせる根っこみたいな素質をもってるか」。陶芸家という立場の作品展でなく、生きとし生けるものとして、自分に隠されたものを見つけるために、さまざまな作家に刺激を受けるのもよし、そんな楽しみを含むアートイベント。
継続の根性っていう「根っこ」が磨ける魅力的な場ということもあって、年に数ヵ所ギャラリーや街が運営するアートイベントに参加させていただいています。この公募展もそのひとつ。そして、ギャラリーや街がイベントを「継続させる」というエネルギーは並大抵のものではないということを、アートには漲る循環機能が必要であることを想います。
どんなイベントも、5回を越えると見えてくる自分の本性も楽しみたいですね。
出展作品:冬鈴(据え置き型・吊るし型)
立冬に白息カラン鈴の風。
2017年
10月
05日
木
今回の展覧会で「旅する土鍋本がほしいです」と声をかけてくださったかたが数名いらっしゃって、ああ今回まにあわず失礼いたしましたとお詫びしました。さっそく今日から、工房しごとの前、早朝に時間をつくって書きおろしをようやくスタートさせました。メインは2017年の旅を記事ですが、この3年の土鍋の旅も印象深かったものは入れて行こうかと思っています。
本の構成をしてくださるデザイナーさんに早く記事と写真を差し出さないと完成しないぞ!と、さしせまる次の個展制作と、今回いただいたオーダー制作とのはざまで、あいかわらず緊張の糸はゆるめられない状態。とにかく何千枚も写真があるので、まずは写真選びから。
◎次回の展示は、蓼科の「ギャラリー忘我亭」の公募展に作品を1点出します。
◎その後、12月半ばに横浜元町で、新作を含む作品展(個展)があります。
どうぞよろしくお見守りくださいませ。
2017年
10月
03日
火
新宿高島屋での展示、無事に終了。毎回たくさんのお客さまが会いにきてくださり、毎回あふれでる感動を覚えます。今回も、とぎれることなく大勢のお客様にご来店いただき、ありがとうございました。本日のみ強制休養日とさせていただき、明日からオーダー品と、次回個展のための制作に突入いたします。
制作に注ぐエネルギーを100とすると、販売のそれは10〜100倍。なぜなら作家から分身が離れるときのインパクトは強烈だから。窯から出て展示する段階で、もはや客観的な視点で作品をみることができエネルギーも半分以下になり一見平穏ですが、しかし作品には隕石のようなエネルギーが宿っているわけで。
2017年
10月
03日
火
本日最終日17:00まで
本日とうとう最終日を迎えます。百貨店での展示は10:00スタート20:00または20:30クローズと長丁場の毎日でした。乾燥した現場で、ありがたくも絶え間なくお客さまにお会いしていたので、とうとう声は全くでない朝を迎えました。健康でタフな反面、ノドだけは弱いようです。まだまだ自己管理が足りないなあと反省する最終日。
人の道にはきらびやかな毎日ばかりでなく、悲しみに暮れる日や、塞がれた道に困ったり、立ちはだかる壁があったり。ひとつの作品と向き合う時間はかなり長いです。向き合いながらいろいろなことを想います。特に、作品に線刻を入れるとき、わたし自身の、この作品の道を想います。見えない道をあるくとき、先を往く人の足あとは見えないけれど、大切なだれかが必ず灯りを照らしてくれて先に進めるのだと。そして、わたしたちが残す足あとも、きっと誰かのためになりますように。
2017年
10月
02日
月
展覧会は残すところ2日となりました。
この週末も、「はじめまして」のお客さま、「とってもお久しぶり」のお客さま、「いつもありがとうございます」のお客さまにお会いすることができました。おひとりさまずつゆっくりご説明したいところが、接客が重なったりで、ままならず申し訳ないです。
そして、とうとう声がかれてしまい、歌いすぎたカナリアか、はたまた渋いバーのママのような声になってしまいました。今朝起きて自身の無声に驚きいそいでロイヤルゼリー入りのはちみつをたっぷりなめ、COCCIORINOのココットでほうじ茶を飲み、いただいたナポリのお菓子SFOGLIATELLA(スフォリアテッラ)を食べました。いただいたお花もココットに乾山を入れてプチアレンジ。
2017年
10月
01日
日
10月になりました。朝晩の風はすっかり秋のにおいがします。
今回の展覧会のタイトルは「食を楽しむ」。おかげさまで、月末と週末が重なった昨日も、たくさんのお客さまがいらしてくださいました。手をとり目に涙をいっぱいにして喜んでくださるお客さまや、ずっとSNSという媒体で作品をおいかけてくださっていたお客さま、会いたいのだけれどなかなか会えなかった友人、そして、百貨店にお買い物にいらして偶然COCCIORINOの作品に出会われたお客さまなどなど。回想するだけでまた目頭があつくなり、そんな中、どうしてあんなふうに、みなさまと楽しい会話ができるのだろうと考える。
器というものは不思議なおしゃべりを引き出すコビトなんじゃないかと思うのです。器の前で、みなさんが、おいしい料理やお酒のはなしが花を咲かせる。食いしん坊なコビトは、ちいさくて見えないけれど、きっと器の中にいるのです。
ちなみに、長らく定番品となっている写真の「ココット」は、オーブン料理にも使える上、冷凍庫に入れてキンキンに冷やしてアイスクリームを食べたり。もちろん小鉢としてお惣菜を入れたり、おそばやお素麺を食べてもよし、これからの季節のお鍋料理の取り小鉢としても使えます。そして意外にも、お茶のコップとしても口当たりがなんとも言えない心地よさ。
ココットひとつで、こんなにおいしい話ができるのです。
2017年
9月
30日
土
新宿高島屋の展示、いよいよ百貨店が華やぐ週末の朝。初日から絶え間なくお客さまに来店いただき、貴重なお時間をつかって作品をお選びいただいており、感謝申し上げます。
COCCIORINOの作品は、コップ、お茶碗など、ひとつのアイテムにたくさんのカラーがお選びいただけるので、みなさまを混乱させ悩ませるわけです。いやいや、沈むような混乱ではありません。みなさま笑顔で悩まれているお姿は、子どものような笑顔。目移りするようなお菓子をみるようなやさしい目、夢にあふれた目。そんなお姿を見ることこそ、作家冥利に尽きるのだと思います。
2017年
9月
23日
土
お知らせがすっかり遅くなりご迷惑をおかけしております。
9月27日(水曜日)から10月3日(火曜日)まで、下記の通り展示会をいたします。
どうぞお気軽に、お立ち寄りくださいませ。毎日の在廊を予定しておりますので、ぜひお声かけていただければと思います。
7・8月とイタリアを一緒にまわった「旅する土鍋」(実物)の展示も致します。一部の作品(限定数あり)ではありますが、この機会に大小さまざまな土鍋の受注をうけたまわります。なお展示ギャラリーにおいて即売いたしますので、欠品が発生することもございます。ご了承くださいませ。
2017年
8月
05日
土
ミラノの師匠宅を拠点に土鍋と旅しているが、暑さはマックス、時の速さは光陰のごとしマッハ。リグーリア海、ローマ、一度ミラノに戻って荷物の中身を変えて、今度はフィレンツェを軸にヴィンチ、ヴァーリアをまわっている。
日に日に腕には筋肉がつき、足には青あざができ、お腹には良質な脂肪が蓄えられる。そんな旅。100キロの荷物はベースキャンプとさせていただいているミラノの師匠宅に一度置き、大きなタネから小さなタネまで蒔き歩いているのでどんどん減っているが、まだ30キロだか35キロある大土鍋入りの荷物はとにかくひとり移動には足かせ。わかってはいるが仕方ない。陶芸家はとにかく何をしても重いのだ。
2017年
7月
25日
火
ミラノに到着して、はや2週間。
このあいだに、ギャラリーさまにご納品すべく師匠グイド・デ・ザンの作品をセレクトし梱包をいっしょにした。そのあとは、ご注文いただいた作品の引き渡し。それら大切なことをまず済ませて、そのあと居候している師匠宅から2時間半ほどのリグーリアの海で体を休ませた。
20年前からの伊友人に誘われて、彼女が住むローマにも行ってきた。突然のスケジュールにブログの更新も進まない。明日から本格的な「旅する土鍋プロジェクト」がはじまる前に、一筆執らねば。
2017年
7月
23日
日
到着して早くも4日目。
土鍋の旅がはじまる前にやるべきことがたくさんあるので、ミラノを拠点にしてよかった。
ミラノの街はこの時期まったく不思議な状態で、ドゥオーモなど観光名所は人でいっぱいだが、10分、15分も歩けば、ああ夏休みはじまってるなぁと感じる静かな夏の住宅地に入る。店も「じゃあね!夏季休暇をいただきます!」的なことが扉に書いてあったりなかったり。人が去ったその期間を狙って「秋オープン!」と告知し改装や移転する残念な閉まり方も多い。さて、そんなわけで、この時期の週末はとても静かだ。すでに長い休みに入った家族もいる。
そんな日曜日。師匠の友だちが5人来ることになった。わたしが帰ってきたので会いに来てくれるのだ。うれしいなぁ。暑いので料理をする気にも、熱い料理を食べる気にもならない。火を使わない料理でいこう。「おおげさな料理はしないよ、いいね」と、人をお招きするときに師匠が口癖のように言うセリフ。これは夏だけでなく冬であっても。元弟子できたえられたのは工房仕事だけでない。食事会や展覧会のパーティが多い国だからこそ、ある意味きたえられた手順は今も忘れていないわけで。
さて、加熱しない料理。この国であれば、喜ぶべきハムやチーズが美味しくて手頃なので、それを並べれば充分だ。日本食だって美味しい明太子と大根おろしがあれば、それを出せば嬉しいおつまみになるし、何よりお刺身を並べれば、いやいやお豆腐を切って薬味を加えたものなら最高な夏の一品になる。多くの店が閉まっている日曜日、材料がないのだからさて。
毎度日本から当座つかいそうな材料を持参する。日本食が恋しくなるということはないけれど、食に関する土鍋の仕事をしていると、どうしても気の利いた日本食をつくる機会が増える。もちろんミラノなら今やたくさんのアジアン食材屋さんがあるけれど、このように急な来客や日曜日ということに備えなければならない。
そこで今回は「春雨サラダ」。
タマゴを薄く焼いて、おみやげにあげた木屋の型ぬきで飾りにする。師匠の器に入れれば、いつもの「なんちゃってごはん」が異国の光にて豪華になるのね。
2017年
7月
18日
火
まずは下の動画をご覧くだされ。わが家の庭のサツキの木の中に巣をつくられたアシナガバチ。おいしそうな虫肉団子をじょうずにこねて、巣の中の幼虫に、一部屋ずつ分け与えている献身な姿にがんばれ!と言ってしまうだろう。…が、しかし悲劇はいかに。
出発前の貴重な時間。焚いた窯が冷める間をつかって諸々の買い出しに出かけた。我が家は大きなハブステーションから数十分の私鉄沿線上にある。ラッシュで有名な沿線。毎日のように人身事故が発生しているが、これはどういう時代を示唆するのだろうか。電車に缶詰めになりながら、おかしな状況に慣れてしまっている人間たちについて考えながら帰宅した。
夕食の支度を家族で分担し、わたしは夜になっても30℃を切らない庭の植物を心配し、暑さでぐったりした植物に水をあげようと、暗がりのベランダでサンダルを履いた。チクッと、いやビリビリーッと激痛が。大声を上げて飛び上がりサンダルを吹っ飛ばして家の中に入った。気が遠のくような激痛。久しぶりに痛みに泣いた。なぜか瞬間的に「ヒアリ?」と脳裏をよぎったが、すぐにああ洗脳されているニュースにと撤回。
2017年
7月
09日
日
赤キャベツや赤タマネギや赤大根が好き。頻繁につくる超簡単サラダを紹介しよう。
いつもの「数字のないなんちってレシピ」!!
2017年
7月
03日
月
陶芸のシゴトは肉体労働ではあるが、座位での姿勢がほとんどなので足があきれるほどむくむ。これから脱水になりがちな仕事場と、むくみの関係をうまく平均的につなげるべく自作の「ドクダミ茶」の使い方をいろいろ実験中。
もろもろのドクダミ効果を期待するなら65℃くらいで飲むのが理想なんだそう。熱いお茶として飲むのも最高だが、蒸した暑さがつづくので、ひとまず濃いめに煮出したドクダミに氷を入れる。ここにすりおろしショウガ(なければチューブでも)、ひどく疲れていたので玄米ハチミツ(なければハチミツ)を小さじ1入れた。ハチミツはなくても平気。
みなさまご周知、ショウガは体の芯から温める。一方のドクダミは、カラダの中にこもった余分な熱を取り去る。そして利尿作用を導く。相反する効果があるものを組み合わせてみた。ニオイで敬遠されがちだちなドクダミだが、そんなことはないし、逆に鎮静効果があるのでは?と思うほど爽やか。それがそれが、美味しい。そこにショウガが入ると、ほんのり甘くなるような気がする。
午前中いっぱいこのお茶を飲んだが、最初は利尿作用がうまくいかず足は通常よりむくんだ。が、しかし翌朝なんともすっきりとすべてのむくみが取れていた。人間のカラダって、本当に面白い。
2017年
7月
01日
土
いよいよ本格的な夏がカラダにまとわりついてきた。
暑かったけれど爽やかだった理想の夏は遠ざかり、そうだったこれだったと、ダラけた声でボヤく季節。蝉の声がまだしない。いやいやまだこれからだよと暗示している。
陶芸家にとって、いや暑さに危機をおぼえるご職業に就いていらっしゃるかたは大勢いる。水分をたくさんとり、睡眠不足を極力減らしていきたいものだが、やれやれそうにもいかないわけで。
2017年
6月
27日
火
夏は夏らしいものを食べよう。夏もあたたかいものを食べよう。このふたつを心がけて梅雨を、そして暑い夏を今年も乗り越える。夏はウリ科の野菜が元気である。
野菜はここ10数年、応援している山梨の農家から取り寄せているが、その他はできるだけ地元野菜や、災害などで応援すべき産地のものを見つけて買うようにしている。中野は江戸時代から白瓜の特産地だったとかで、先日お手頃な価格で入手した大きな「江戸大越瓜」をどう料理しようか考えた。
ひとつめは、簡単に白瓜を輪切りにして、塩昆布を和えて1時間ほど冷蔵庫に入れて味を落ち着かせたもの。夏の清涼感あふれる副菜!ごはんもお酒も進む。
2017年
6月
26日
月
庭のすみっこに今や立派に咲くあじさいは、20代のころからお世話になったかたが旅立たれたとき、戒名に「紫陽花」の文字が入っていた彼女を偲ぶ花として買った鉢植え。もうかれこれ10年ほど前だろうか。その後、庭の配置プランもなしに、すみっこに地植えしたのがぐんぐん茂っているわけで。
梅雨入りのころ、薄い青紫の花が咲くと彼女を想い、あじさい色の日々を過ごす。梅雨の中休み、すみっこのあじさいを見ると、もう色あせた花の中に一本の凛としたあじさいを見つけた。いつもこの最後の一本を見逃さないように心がけ、最後の一本は花ばさみで切って自作の器に飾ることにしている。
今年の彼女は、誰よりも自信ありげに背筋を伸ばしたプリマドンナのようだった。
「我妻珠美・五十嵐貴子 陶芸家2人展」
2017.9.27-6.3
新宿高島屋10階
ギャラリー「暮らしの工芸」にて
おかげさまで1年中便利に使えると
ご好評いただいていますココットも
各色そろえて展示販売予定です。
よろしくお願いいたします。
2017年
6月
22日
木
太陽暦(二十四節季)では、春分、夏至、秋分、冬至と一年はめぐりめぐる。夏至をすぎると、気温や天気などとは関係なく、カラダのなかから「夏だよ」という声が聞こえてくる。食べたいものがくるっと変わってくるというか。
今年は「ガスパチョ」が無性に食べたくなった。それもそのはず、去年トスカーナの山の家でいただいたそれがよみがえる記事「畑の野菜のガスパチョ」が千穂さん(フィレンツェ田舎生活だより)からあがったから!一昨年、去年とお邪魔している山の家は、語り出したら奥が深すぎて長くなる。その魅力は、彼女のブログを追っていただくことにして、きょうは「ガスパチョ」について。
(写真上:本日Cocciorino作「ガスパチョ」2017)
(写真下:去夏アントネッロ作「ガスパチョ」2016)
2017年
6月
20日
火
我が家の庭には、あしなが蜂が毎年帰省なさる。ツバメは「福をもたらす」と喜ばれるものだが、蜂は真逆で[危険をもたらす」ものとされる。しかし、両者ともに≪この場所を選びました≫と言われているのは同じで、それゆえに、なんとなくウェルカム感で微笑んでしまうのだ。
この数年は、小さな巣をみつけては殺虫剤と棒で駆除したものだが、駆除してもすぐにまた庭のどこかに巣をつくる。今年はどうするか。どこからか湧くように蜂が大発生する時季があるので拠点がどこだか探す必要があるのだが、今年の巣は、早い時季に、毎朝、桑の実とりをするすぐ近くに発見された。すでにある程度の完成した巣を、毎日辛抱づよく抱えるように守っている写真のあしなが蜂かあさん。
こんな姿を毎日みてしまうと、これから羽化するだろう子どもたちを駆除することができなくなってしまった。
2017年
6月
16日
金
併走していた大口の納品を終え、次期の展覧会にむけて東奔西走中!つくる、つくる、つくる。あちこちの制作を同時期にしていると、どうしても気が散る。一本に集中してぐいっと進もう。
時間と体力は限られているとつくづく思う。近ごろの体力は目にあまる。2倍のバタ足をしていたらゴール前に燃え尽きるでしょう。こうなったら1回のキックで、あるいはひとかきで2倍の距離を進むスタイルでいかねばゴールは臨めない。それにはうつくしいフォームと精神力!鏡にうつる自分の姿だけでなく、みんなの顔、佇まい、心づかいを、尊重という呼吸で参考にしたいと思う。
来月は恒例の「旅する土鍋イタリア」に旅立つ。そこまでの1ヶ月間、わたしの足にはぺらっとフィンが、わたしの手にはぐいっとひとかきできる水かきが生えているといいなと願っている。
2017年
6月
15日
木
あわてて夕食をつくらなければならないことほぼ毎日。
夕暮れはなぜだかそわそわして、太陽がじゃあまたねという頃、あきらめたかのように今度は自分の集中力が昇ってくるようで、仕事が乗ってくるのが夕食前。空腹という追い込まれた状態というのもニンゲンにとって有効なのだろう。
しかし、同じ屋根の下には、お腹がすいた仲間が思い切り体をうごかしてぺったんこの胃袋をゆらして帰ってくる。つくらねばならない。仕事にキリをつけねばならない。
ひさしぶりの「数字のないなんちってレシピ」。
忙しいときの相棒は「サバ缶」だ。大根をつれてきて、庭からはミントをつんでこよう。
「夏の大根サラダ」ー数字のないなんちってレシピー
①大根を細切りにする。
②サバの水煮缶、塩、酢、豆乳マヨネーズ(or普通のマヨ)、魚醤(or普通の醤油)と①を和える。
③ミント、ウイキョウの葉などを入れて、あればナンプラーをたらして召し上がれ。
※ミントとサバ缶が妙にさわやかにマッチするのでおすすめ!
2017年
6月
11日
日
イタリア語でサルビア、英語でセージ。わが家の庭でぐんぐん成長しているのは、友人がおみやげで小笠原諸島の父島からどんぶら運んできてくれたものだが、高温多湿に弱いので、東京の梅雨時は注意が必要だ。イタリアなどヨーロッパでは道端や原っぱにごっそり生えている。それだけ湿気がなくたっぷりおひさまが降り注ぐ地だという証拠だ。
学名Salvia officinalisには「薬効サルビア」という意味があるほどで、彼らが庭で放つ香りは、かなり強い薬効感を漂わしている。ホワイトセージではないが、ドライにして炊けば浄化効果も期待できるほど。
語源は、Salviaはラテン語のSalvere(治癒する)またはSalvus(健康)から派生した語。伊語でもsalvareは「救う」という意味。「セージが庭で育っているのにどうして人は死ぬのか」(Why should a man die whilst sage grows in his garden.)や「長生きしたければ5月にセージを食べなさい」(He that would live for aye, must eat Sage in May.)ということわざがあるくらい。
前記事「ドクダミとなかよく暮らす①」のもドクダミ同様、お茶やチンキにもできるし、なによりスーッとした香りが料理に活きる。トスカーナで食べたサルビアのフリット、北伊で食べたサルビアバターのニョッキにはクラクラ~と魔法をかけられた思い出がある。
まずは先月からせっせと乾燥させてお茶にしている。洗面所には、ドクダミやサルビアを煮出したお茶を置いておけば、天然のうがいぐすり、口臭予防液にもなる。
さあ、このあとは、そろそろサルビア料理をつくって魔法にかけられてみようかな。
2017年
6月
04日
日
梅雨前になんとかしよう。いつもそう思いながらもバタバタしていて知らぬうちに雨でじとじとする日が始まってしまうのだ。今年は、梅雨前にきもちのよい乾燥した日がつづく。梅雨のころから羽化する蚊もまだブレイクしていないのでチャンス!庭に一斉に花を咲かせはじめたドクダミをひっこぬく。
まだ若い葉に独特の臭みはあまりない。若葉が顔をだしたとたんに白い可憐な花を咲かす。彼らは地下茎で準備万端なのだろう。本当に堂々とした立派な白い花。地下茎つきのそれを半分、ハサミで茎を切ったのが半分。大きなバケツでじゃぶじゃぶ洗い、乾きやすいように数本ずつ束ねて干す。天気がよくて梅雨前の乾燥期ならば3日ほど、じめじめしていればあと3日。(冒頭写真)
乾いたら茶葉に適するサイズにハサミでカットして、わたしの場合はザルにあけてもう一度おひさまの下でカラッカラにする。(下写真)
2017年
6月
02日
金
先日とてもおいしいヌーベルシノワのお店でごちそうになった。最後の主食で出てきた「酸辣湯麺(スーラータン麺)」がおいしくて、あれに近い味をつくってみたくなる。中華街の庶民派中華料理店でもこれを好んで食べる青春に、味のアドバイスを受けながら。
中華スープのとろみはおおかた片栗粉であろうが、冷蔵庫に残っていた長芋をおろして代用してみた。年々暑さが尋常でなくなる。職業柄ここを乗り越えられる丈夫な体力をつけねば。少量でも滋養があるものを心がけているので「山のうなぎ」と呼ばれるほど栄養価の高い山芋は魅力的だ。
なんでも残り物をみると燃えるタイプ。なんとかしてやれやれ!とアイディアが騒ぐのだ。完成品は家族に大好評だったので、恒例の「なんちってレシピ」をしたためておこう。超簡単なのでお試しあれ!
「酸 辣湯(スーラータン)」 数字のない“なんちってレシピ”
1.鍋に水を入れ沸騰したら干し桜エビ(または干しオキアミ/または中華だし)を入れる。
2.すりおろした長芋をふんわり1の鍋に入れる。スープに味をなじませる。
3.塩で味を整える。
4.パセリ(スープセロリなど)の茎をみじん切りして入れる。
5.一度火を止めて溶き卵ををぐるぐるっとスープに入れ塩で味を整え、最後に隠し味の醤油を数滴。
6.パセリの葉を添える。
7.召し上がる直前に、「お酢、ラー油、隠し味の醤油」を合わせたタレをかけてどうぞ。
2017年
5月
31日
水
長ネギのさきっちょからまあるいボールが出現した。こいつは「ネギ坊主」だ。前記事の「ネギ」つながりでひとつ記事をかこう。
2017年
5月
29日
月
もう10年ほどになるだろうか。わが家の野菜は山梨は南アルプスのふもとから畑から直送してもらっているものだ。2月~3月は寒冷地のため直送はおやすみ。この野菜だけでは足りないので、もちろん普段から野菜を買い足しているのだが、東京で出回る野菜に比べてシーズンがワンテンポ遅いので、好きな旬の野菜が2回楽しめるという感じ。
2017年
5月
24日
水
庭の桑の実が鈴なり。
毎朝、まず地面に落ちている実を楽しみに拾う。実の落ちかたで宵の風が強かったのか分かるし、アリに先を越されて蝕まれたもの、落下の衝撃に潰れかけたもの、拾いながらそれぞれの物語を想像するのもおもしろい。そのあと枝についたたくさんの実から、どどめ色の実をピック。
この桑の木は、10年ほど前「蚕学習」のために近所の小川で引っこ抜いてきて庭に植えたもの。お蚕さまは、新鮮な葉でないと食が進まない、大食漢である、そして何より農薬のついた葉を食べると命を落とす。そんな理由で桑を植えちゃえ!という運びに。最初は雑草くらいの小さな一枝だったのに、それが3年くらいで葉が繁々となり5年ほどで樹木に育ち実をつけるようになった。
5月連休前までは葉っぱの赤ちゃんを宿っている程度なのに、連休が終わるころパッとすべての葉が開き、そのあとは空に向かってぐんぐん伸びる。3メートル以上はあるだろうか。ものすごい生命力を感じるこの時が大好きだ。
このあと、思い切り光合成が行えるくらい陽ざしが降り注ぐころ白いブラシのような花が咲く。桑には「雌雄同株」と「雌雄異株」があるらしいが、どうやら我が家の桑は前者。花弁がないその花は、もはや桑の実が想像できるような形状。今年は桑の実が大豊作で、花がついた分だけ実がなっている状態だ。
2017年
5月
21日
日
桜のころは、いくら小川の土手を歩いても見つからないよもぎ。5月の声を聞くと突如と群れをなすよよもぎ。春の小川はいそがしく、2週間単位くらいで植生や開花する木々が交代してゆくのだから。せっせとビニル袋によもぎ葉をぎっしり詰める。よもぎの下ごしらえをして、餅粉を捏ねてよもぎ団子をつくる。
新興住宅地に生まれ育ったわたしが、よもぎを最初に摘んだのは3歳だったと思う。妹が生まれるので横浜の伯母宅に預けられたようで、その時に体験したことのひとつだ。よもぎの季節と妹の誕生日から考えると、1ヶ月ほど預けられたのかな。当時の横浜の住宅地はまだまだ緑がいっぱいで、伯母や従弟とよもぎを袋いっぱいに摘み、伯母の家でよもぎ餅をつくったことを昨日のようにしっかり覚えている。よもぎの下ごしらえのことや、すり鉢のようなものでつくように餅をついたことも、ちょっと色あせた昭和のカラーテレビのような画像で覚えている。
ケータイで写真を撮ることも、デジカメもない時代に。わたしの眼はどんなレンズより高品質で、PCやHDへの保存でなく、しっかりと心のメモリーに。
2017年
5月
19日
金
昨夜から窯をたいている。蒸気が窯から出る時間帯は少し臭気が気になる。気候がよくなったこの時期は、開窓しているお宅があるかもしれないので、都会の住宅地のまん中で窯をたくことは多少の工夫がいる。これは承知のもと。朝方に窯の蓋をしめると、たちまち窯はぐいぐい温度をあげてゆくわけで、室内はちょっとしたサウナ状態になる。
5月の半ばだというのに初夏のような気候。湿度が低くまだ蚊も少ない最高な環境なので、プチサウナから庭に出ておひるを食べる。好物であるクリスピーブレッドにブルーチーズをこんもり乗せて、元気の源である白ワインを入れた「なんちってミントカクテル」をご褒美に。所詮つなぎ姿で庭に座っているわけで、おしゃれさは欠片もない。
そして、最近思うことがある。ぽっこりを気にするより残りの人生は「おいしく」「おもいきり」「おもしろく」仕事がしたいと。そう強く想いながら庭の風に感謝した。
2017年
5月
16日
火
節目の年を超え、むこう側の景色がゆっくり見えてきた。むこうの方からひゅるるるると風が吹いてくる。アドベンチャー的コースでものすごくワイルドでスリリングだった愉快な道はしっかり後方から続いている。山の頂上から、さらにむこうの道がぼんやりだが見えると嬉しいものだ。成功も失敗もGOもSTOPもなにも看板がないシンプルな道。なんせ、ここまで来るのにたくさんの寄り道と、迷い道を歩いた。また本筋に戻れたのが不思議なくらい。いやいや、そもそも本筋などないのだろう。
(本題からそれるが庭のイスは35年前に買ったイスとテーブル)
2017年
5月
15日
月
発展バージョンとしてどうしても試したかったのが、「食べるスープ」から「クロスティーニ風ペースト」への変身。「食べるスープ」をフードプロセッサーに数秒かけるだけ。これをバゲットに乗せてカリッとオーブンで焼く。パルミジャーノの削ぎ切りを乗せたり、アンチョビやドライトマトを乗せてアレンジしてみた。少しカレー粉を混ぜても美味。同じ料理を2種類で楽しめる。葡萄酒に合うこと間違いなし!
このように、スープは多めにつくっても二度楽しめる。すこしあまったスープを再加熱してポタージュ風、または離乳食のようなペースト状にして楽しむとまた別の料理に変身。ただしこれからの梅雨時期は傷みやすいのでスープもペーストも冷蔵するなどして早めのご賞味を!
2017年
5月
12日
金
サカナ売場でアラや肝をじいっと見るのが好き。
アラといえば、煮つけや鍋、おみそしるなどが頭に浮かぶが、このレシピ(スープ作家有賀薫さん/Cakes連載)を見たとき、そうか「アックアパッツァ(伊料理)」か!と膝をたたいた。各種魚介やハーブをふんだんに入れ、サフランも入れたりしてわりと手をかけるのが「ブイヤーベース(仏料理)」だとしたら、水とワインにアラ(もちろん身つきサカナでも良し)をドボンと入れた手荒い料理(言いかえればシンプル時短料理)が、アックアパッツァではないかな。
有賀さんの“包丁を使わない簡単な魚のスープ”をつくりたくなったら、まずはサカナ売場へ「アラをさがしにGO!」コスパバツグンであること間違いなし!
2017年
5月
04日
木
空気とは「地表を覆う気体」や「その場の雰囲気」という意味だけに収束しない「身のまわりにある不明瞭な存在」であると展覧会の図録ははじまる。
先日の市原湖畔美術館(ブログ記事)につづき、またまた都心から遠方にきたものだ。今回訪れた川口市立アートギャラリー・アトリアは、路線図をみると通勤圏であることは明瞭。都心のギャラリーと異なり生活感をともなったのびのびさがある。隣接大型スーパーとギャラリーの間には共有広場があり、たくさんの子どもたちが遊ぶ。少子化を肌で感じる今日この頃だが、ここにいたか!と思うくらい空気を吸いまくっている子どもがいた。エネルギーにあふれた印象。
美術館は、決して大きくはないスペースだが、高い天井と白い壁が、それこそ気持ちのよい開放的な空気をはらみ、首からパスをさげた子どもたちが楽しそうにそれぞれの作品のまえで笑う声が聴こえる。ギャラリースタッフのかたがたもやさしく落ち着いた雰囲気で、大きな美術館でよくあるギスギス感なく、これも気持ちのよい空気が流れる大事な要因だろう。 作品説明は、子どもにも分かりやすいよう、あちこちに平仮名がちりばめられている。これも世代を超えるやさしい空気の循環だ。まんまと「空気の正体」を探す気になってきた。
2017年
5月
01日
月
先日、スープ作家 有賀 薫さん(著書「365日のめざましスープ」)にお誘いいただき「スープ ラボ ブレスト的な料理会」に、器作家でありワークショップ受講者として参加させていただいた。この会は、わいわいコミュニケーションを取りながらのブレストのような会であることが伝えられ、料理家、パンのオーソリティ、イベントコーディネータなど、それぞれの畑でご活躍するみなさんが集まった。汁物を毎日とる生活をこころがけている私にとって、とても参考になった上、もちろん器づくりのヒントもたくさんいただいた。
ブレストの内容は薫さんのFB記事で少しご紹介されている。料理のレシピや詳細は、薫さんの次なる料理教室(または公開されたら)をお楽しみに!
2017年
4月
30日
日
先週、お客さまが我が家に滞在していた。しばしば遊びにいらしているのでセルフテリトリーに入っているらしい。そう、テリトリーや敬意を大切になさる方。柴犬のリュウ坊である。
2017年
4月
25日
火
春うららかな日、ある作品を追い求めてアクアラインを渡った。 東京湾を縦横無尽に吹く風はつよく、まだ4月末日は肌寒いくらいだった。
開催は初訪問である市原湖畔美術館で開催中のカールステン・ニコライの作品。「PARALLAX/パララックス」(視差)という展覧会名の通り、彼の作品は、次元を超えたような印象を抱かせ「視る」「聴く」という行為を愉しむものだ。
強い太陽光を瞳に吸収したままで入る部屋。最初は暗黒だが、瞳が太陽を忘れるころ、徐々にその空間やスクリーンの大きさ、壁はミラーで反射していることに気づきはじめる。スクリーンに映るシンプルで宇宙的な光のインスタレーションからパターンや計算されつきした法則のようなものが見え始める。
2017年
4月
24日
月
土鍋といえば炊飯かスープといっても過言ではないだろう。
先史時代(縄文時代)に調理用の土鍋が発明され、そこから汁をのむ食文化が始まったといわれている。「ポタージュ(とろとろスープ)」や「ポリッジ(お粥)」は土鍋(POT/ポ)から派生した言葉だとか。一方でラテン語のSUPPARE(伊語ZUPPARE)は「しみこませる」という意で、もともとは「しみこませるパン」のことを指していたようだ。イタリアでもスープを「ズッパZUPPA」というように、オリジナルはパン入りのスープという意味であったらしい。
2017年
4月
22日
土
時として我が家のテーブルにはひしめき合うように友人が集い、彼らとごちそうをつつき、料理に合うお酒をいただく。友人は楽しい時間を運んでくださる。30年来の「渋いチーム」は定期的に集まってくれ、我が家の「青春」という名の青年は大人たちの食べっぷりや飲みっぷり、爆笑と時にマジメに論をかわすその姿を、じっとみつめてきた。
きっかけは、我が家に乳飲み子がいたため(今や青年)、「食いしん坊」という(あるいはノンベエともいう)20代からの仲間たちが宴会をホームパーティにシフトしてくれたことから始まったように思う。世の中の少子化を映すように、我が家の1名ぽっちがベベであり、少年になり、そのまま青年になった。
2017年
4月
21日
金
今年の桜は長かった。
定点観測している場所の桜は、寒くてさむくて思い切り咲きれないよとボヤキながら、つい先週までちらほら葉っぱと一緒に咲いていた。今週に入り突然、件の桜は壮大な演出に幕を閉じ、ハナミズキにバトンを渡し、周囲には夏緑を撒いて去って行った。わずか1週間くらいの早変わり。一日は高速なりと仄めかす。
さて、春を実感するのは花だけではなく野菜からも。春の土の香りがついた春野菜がうれしい季節。暑い夏を乗り切るための体力をつけるには、芽吹きたてのエネルギーに満ちた野菜と玄米をたっぷり摂ろう。
2017年
4月
14日
金
過去に「麦ごはんサラダ」のことを何度もブログなどにつづってきたけれど、春と夏の太陽が顔を出すと作りたくなって、そしてまた記憶に留めておきたくなる。
イタリア在住時代、イタリア人の友人らに聞いて覚えたのでレシピもない。量も適当で記憶で作る。だからいつも味が違う。今は良い時代で動画も見つけたのでリンクを貼ろう。⇒イタリア語のサイトより(動画)
まずは材料(自分オリジナル版)
・大麦
・スペルト小麦(古代小麦)
・レンズ豆
・押し麦
・チーズ(ゴーダ、チェダー、グリエールなどお好み)
・モッツァレッラチーズ
・オリーブ(種無し/黒や緑)
・ズッキーニ
・パプリカ(黄)
・プチトマト
・ハム
・アンチョビ(あれば少々)
・オリーブオイル
・にんにく(少々)
・塩・胡椒(少々)
2017年
4月
13日
木
その国に住むからこそ知ること
少なくともよその国で生きるならば、言葉を狭め「ひとりでない世界にいる」にいるならば、そこで興味や共感を抱きだれかに寄りそうならば、たなびくのでなく、最低限に互いの文化を知るくらいの好奇心、源を知ろうとするホンモノ好奇心が欲しい。
無宗教者であるが想うこと
今度の日曜日は「パスクア(伊語)」(イースター:復活祭)。あちらに連絡したいことがあるのだけれど、イタリアのみなさんはイースター休暇に入るので、休暇が明けたらにしようかな?もしくは「BUONA PASQUA!」(復活祭おめでとう!)と季節のあいさつがてら連絡しようかな?などスケジュールを遠方より思惑する。
めでたい「復活」だけが注目される日本だが、これは「受難」の金曜日があってこそ。前夜の木曜日は、かの有名な『最後の晩餐』を弟子たちと持った日であり、翌日キリストは十字架にかけられる。木曜日より十字架には紫布がかけられ復活の日曜まで鐘も鳴らない神聖な3日間であることを教えてもらったことがある。
受難あってこその復活!
もちろんイタリアだからってみんなが熱心な信者ではない。けれども信仰行事にバカ騒ぎしたり非難するわけでもない。なぜならば信者であるか否かは別として、宗教という事実と歴史が目の前にあるからだと思う。
現に休暇を喜ぶ人々は大勢いるし、日曜の「パスクア(イースター:復活祭)」は転じてごちそうが並び、口々に「復活祭おめでとう!」のあいさつが街で飛びかう。すっかり気候も良くなり気分も開放的になった彼らは、復活祭明けの月曜日「PASQUETTA」はピクニックなど外に出かけようよ!とすっかり復活するわけである。
すべては「復活」は「受難」を越えて。
2017年
4月
10日
月
季節ごとに風にのって漂う香りがある。ジャスミンの香りもそのひとつ。新学期、自転車に乗ってご近所の曲がり角にきたら漂った芳香。キョロキョロその源を探せば、建物に見事に蔓がからまり、薄桃色の小花が満開だった。それがジャスミンとの出会い。
このように香りと思い出が重なることを、みなさまご存知「プルースト効果」というが、インターネット時代に失われていくいくつかのことの中にのは「香り」が挙げられよう。フランスの作家のマルセル・プルーストは『失われた時を求めて』の中でマドレーヌと幼少期の家族の思い出を重ねあわせる。実際にマドレーヌが焼けた香りや手に取ったときの香りは、そのときの空気の湿り気ぐあいや、自分の感性次第だったりする。想像が伴う実際の体感とそのアルバム。
夢を三本立てくらいで毎晩みるタイプで、カラー・モノクロ両者当たり前のように投影される。音声も日英伊に切り替わるしオールマイティだ。しかしながら香りだけはない。
インターネットで知ったような感覚になってしまうことは、一概に悪いことだと言いたくはない。小説をむさぼり読み、世界地図をひろげ、世界を飛び回り「性別や年齢も越えた気分になれる」あの感じをネットだと何十倍の速さで得られるのだ。ただね、香だけはいつも留守。童話の中にあるようなマドレーヌのバターの香り、まだ風が冷たいところで嗅ぐ沈丁花の香り、桜は華やかに咲き散るものの微香であり香りの話題に触れることはあまりない。入学式の季節に春の花の香りを嗅ぐだろう。そのなかに、あのときは分からなかったジャスミンの香りが青春の思い出に宿るのかもしれない。
今年は我が家の庭をその香りが飛んでいる。強いくらいのその香りを時に嫌い、時に思い出とする。ぽろぽろ落ちる小さなラッパの花殻が色あせるとき、それはせつなさとともに。桜でもうおなかいっぱいであれば、ジャスミンを愛でないか。
2017年
4月
09日
日
1年ちょっと外部ブログで作品のことや生活まわりの記事を書いていたが、本日をもってそちらでの投稿を休止し、こちらウェブサイトのブログに復帰した。作品の情報が埋もれないていどに、生活まわりのつぶやきもつづっていく次第。
このなんてことのない変更は、ものごとをよりシンプルにまとめていこうという小さなちいさな自分だけのムーブメント。眼にみえるモノゴトだけが断舎離でない。時間が足りないとボヤくのであれば、1分でも10分でも固定したものから離れ俯瞰してみよう。時短してクオリティを上げるのは至難の業だ。
節目の年。ここからはオリジナル性を高めたいと考えており、たくさんから絞り込んでゆく10年だと思っている。そしてひとつひとつのクオリティをあげることを選択する。
2017年
4月
08日
土
今年の桜は開花宣言からなかなか満開にならず、さぞ蕾はもどかしい想いをしただろう。
そんなもどかしさのおかげで、毎年行われるイタリア文化会館でのブックフェアには、お堀沿いに咲く桜見物者でごったがえした道をおよぐように辿りついたのである。
2017年
4月
06日
木
写真:「海のタネさん」
先日、ある新設保育園の内覧会にうかがった。園のオーナーは名古屋の保育園のアートワークを担当させていただいたときに出会ったかた。新園のお祝いに包んだのは「タネさん」。これは100gの陶芸粘土で焼いたオブジェで、この数年間、国内外でいくつかのワークショップで活躍してきたタネさんたち。
「魂をふきこもう!」という一言で自由に顔など描いてもらい、ワークショップの特性ごとにプログラムを自由に組んで楽しむというプロジェクト。「タネさん」の説明はするものの、動物や電車に見立てる子どももいて大変興味深い。お国が変われば色使いや大胆さも変わる。しかしながら共通する点は、顔と名前をかけば、たちまち「ジブンのもの」になること。
2017年
4月
05日
水
今月は制作の傍らで、納品や新規の打ち合わせが多く都内近郊に出ることが多い。ひとつの個展+オーダー制作が終わるとこのパターンがやってくるのだ。言いかえれば制作で籠り切ってアウトプットした後は、インプットの時期。
さて、そんな納品のすきまにに、ワタリウム美術館で開催中の「坂本龍一
設置音楽展」に行ってきた。ワタリウム美術館は展示によって空間のつかいかたをガラリと変えるので興味深い。今回は、ワタリウム特有の吹き抜けも、青山界隈の通行をレイヤー的に観察できる窓もすべてぴしゃりと閉ざし、光の入らぬ空間に仕立ててあった。
2階は高谷史郎の映像と5.1chサラウンドで聴ける新譜音源、3階はzakkubalan撮影の坂本龍一プライベート画像とミニマル音源、4階がアピチャッポン・ウィーラセタクンのノマドな映像と音。地階では5月発売のアナログ盤が試聴可能。
2階のサラウンド音源に陶酔し、地階では新アルバムアナログ盤をすっかり1枚ボーっと聴いてきてしまった。帰宅して調べた結果、地階の試聴プレーヤーはたぶんSONY PS-HX50、アンプはSONY TA-A1ES。ヘッドフォンはなんだったっけな。とにかく最高だった。まさしくこの記事(⇒SONY)に出ている写真のもの。
2017年
4月
04日
火
日本は4月から新学期や新社会人がはじまるわけで。東京の桜も本日あたりが満開。
12月の個展では、ご来廊いただいたお客さまに、また個展ができるくらいオーダーをいただき、この3か月感謝で頭を地につけっぱなしで穴があくほど。救いはその穴にクマゴロウのように潜りこまなかったことであり、不眠不休なわりに元気に過ごした。これもそれも仲介していただくギャラリーのおかげ。
お約束の制作を3月いっぱいで果たし、ギャラリーと手分けをして配送し、順にお客さまの元に届け予定。誠にありがとうございます。
「地球のかけら」を意する工房Cocciorinoは
魅惑の素材をのせる器として
地球を応援していきたいと願っています
tamamiazuma.com
2017年
4月
03日
月
春になると聴こえてくるイチゴが「果物」か「野菜」であるかの論議。
一年生や多年生の果菜を「野菜」とし、永年生の樹木の実を「果物」とする。青果市場や消費者側に立つ店の売場では果物扱いである。(農林水産省HPより)
季節を感じる器の使い方や、季節を感じる写真はinstagramでも。⇒tamamiazuma
「地球のかけら」を意する工房Cocciorinoは
魅惑の素材をのせる器として
地球を応援していきたいと願っています
tamamiazuma.com
2017年
4月
02日
日
【ご納品について(後期)】
ギャラリーEcru+HMにて承りましたオーダーご納期(後期)が近づいてまいりました。
第二弾ギャラリー納品を進めました。ただいま最後の本焼き窯の準備中です。
ギャラリーから(一部作家から)ご連絡が入ると思いますので、もう少々お待ちくださいませ。
取り急ぎ、進捗状況まで。
2017年
4月
01日
土
昨年末の個展以来、当ブログの更新が滞っておりましたことをお詫び申し上げます。心配くださったり、作品展についてお尋ねくださったり、お手数をおかけしました。